国 名 :トルコ
分 類 :複合遺産
登録年 :1985年
遺産名(英語):Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia

カッパドキアは、標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km²近くにわたって岩石地帯が広がる台地です。キノコや煙突のような形の奇岩が林立し、巨岩がそびえる景観はまさに自然の驚異です。この不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食されて生み出されました。
「シリーズ世界遺産100」では、この奇岩の大地に秘められた、キリスト教徒たちの営みを伝えます。3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住みました。彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ります。12世紀に作られた洞窟教会には、光がささないため当時のフレスコ画がそのまま残っています。キリスト教徒たちはこの地でペルシャやイスラム勢力に包囲され、絶えず脅威にさらされていました。そのため彼らは、敵から一時的に身を隠す場所を地下に求めました。1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なものです。地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められました。地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時通路をふさぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもありました。そして、最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっています。カッパドキアのキリスト教徒たちは、地下都市の一番底に、神への祈りの場を設けたのです。

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国 名 :トルコ
分 類 :複合遺産
登録年 :1988年
遺産名(英語):Hierapolis-Pamukkale

トルコの町パムッカレには純白の丘陵地帯が広がり、そこには多くの石灰棚が重なるように形成され幻想的な光景を見せています。その背後にはローマ時代の都市遺跡ヒエラポリスがあり、壮大な劇場や神殿の跡が残っています。ヒエラポリスとパムッカレは、類い希な自然の地形と歴史的な遺跡を併せ持つ複合遺産として、世界遺産に登録されています。
「シリーズ世界遺産100」では、この遺跡が古代ローマの温泉郷だったことを紹介し、同時に美しい石灰棚の光景もお見せします。ヒエラポリス内にはプールがありますが、その水は温かく、水中にはローマ時代の建物の柱が沈んでいます。ここは温泉の源泉で、ローマ帝国は温泉保養地としてこの町を一大リゾート地としたのです。遺跡には一度に千人が利用できたという大浴場の跡や、剣闘士の闘いや芝居を楽しんだ円形劇場が残っています。皇帝を始め、広大な帝国各地から大勢の人が集まったといわれます。人々は温泉だけでなく、石灰棚の美しい眺めも楽しみました。いくつもの石灰棚が重なり合い、そこを温水が流れていく幻想的な光景です。その美しさは今も変わらず、人々を魅了しています。

 

国 名 :トルコ
分 類 :文化遺産
登録年 :1985年
遺産名(英語):Historic Areas of Istanbul

ヨーロッパとアジアの接点に位置するトルコのイスタンブールは、政治的、軍事的な拠点として、また、東西文化が交わる拠点として、常に重要な都市でした。ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国と、3つの帝国の首都として繁栄した歴史が色濃く残る町です。
「シリーズ世界遺産100」では、15世紀にオスマントルコがコンスタンティノポリスを陥落させた戦いと、キリスト教世界からイスラム教世界への変遷の歴史を描きます。4世紀にコンスタンティノポリスと名づけられた都市は、キリスト教を奉じるビザンツ帝国の首都として繁栄しました。三方を海で囲まれたコンスタンティノポリスは、陸側を城壁で囲んだ要塞都市でした。大城壁は1000年もの間一度も破られることはありませんでした。難攻不落をうたわれた都市を攻撃したのは、若きスルタン、メフメット2世に率いられたイスラム教のオスマン帝国でした。オスマン帝国は、「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策によって、ついにコンスタンティノポリスを陥落させたのです。攻防戦から25年後、スルタンは市内を見下ろす丘にトプカプ宮殿を構え、町の名をイスタンブールと変えました。その後オスマン帝国は長く栄華を築きます。その秘訣は、出身民族や身分に関係なく、優秀な人材を積極的に登用したことにありました。